新井よしなおが真木 茂さんと出会ったのはちょうど4年前。 これから都議会議員選挙に出ようと、準備をされているときでした。
「お金も知名度も地盤もない。でも世の中を変えるために、行動したい。」という真木さんの情熱に打たれ、 当時国会で働きながらもお手伝いをさせて頂きました。
それから3ヶ月後のこと。「町田で市議選に出ないか?」と、私に声をかけてくださったのが真木茂さんでした。
この人となら!と思える真木さんからの言葉で、私は市議選にでる決意を固めました。
議員としてともに活動して3年がたち、あの時の真木さんの言葉、そして情熱は、本物のまま変わっていないと確信しています。
自分は誰かのために働きたい、今の政治を変えたいとは誰でも言えること。
当選してから志を忘れる政治家が多い中、真木茂さんは自らの行動で、皆さんとの約束を守り、数々の具体的成果を出しています。
私が質問した災害時の緊急電話などは真木さんが東京都で取り上げた問題です。
その他にも数々の実績があります。 → http://www.smaki.com
会議が終わって食事に行くときには「ごめんな~」といいながら牛丼チェーン店に連れていってくれる真木さん。 それでいいんです。政治でお金を稼がない、そんな当たり前のことを愚直に続けている真木さん。
私はこれからも、政治家・真木 茂とともに活動してまいります。
生年月日 | 1964年(昭和39年)6月24日生まれ(40歳) | 町田市金森在住 | |
【経歴】 | |||
1969年 | 鶴川・若竹幼稚園入園 | 金井町居住 | |
1971年 | 町田市立 鶴川第一小学校入学 | ||
1972年 | 町田市立 鶴川第二小学校転校 | 能ヶ谷町居住 | |
1977年 | 町田市立 鶴川第二中学校入学 | ||
1979年 | 町田市立 成瀬台中学転校 | 成瀬居住 | |
1980年 | 東京都立 町田高校入学 | 原町田居住 | |
1989年 | 早稲田大学法学部卒業 全国電気通信労組(現NTT労組)政治部勤務 |
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1990年 | 結婚 小川居住 | ||
1994年 | 参議院議員 円より子政策担当秘書 | ||
1995年 | 参議院議員 平田健二政策担当秘書 | 金森居住 | |
2001年 | 東京都議会議員選挙にて初当選 現在に至る | ||
【家族】 | 妻・江里子 成瀬台中学の同級生 電機メーカー勤務 長男・8歳(小学三年生) |
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【血液型】 | A型 | ||
【星座】 | かに座 | ||
【趣味】 | ・草野球(元・町田高校野球部) ・音楽鑑賞(ポップス・ジャズ) |
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好きな食べ物 | ラーメン・肉野菜いため・みかん・なし | ||
好きな飲み物 | 牛乳・ビール・ウイスキー(バーボン) | ||
カラオケで歌う歌 | 井上陽水、チューブ、藤井フミヤ |
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昨年の12月議会で質問した、忠生630号線の道路計画がその後どうなったかの報告です。 その前に再度、どういう内容だったのかを記します。
町内会からの要望といいつつも、当時の町内会副会長が前部長だった、接続する道路がしばらくの間、 4mしかないのに、そこから先多摩市までつながる道路を13mで造りはじめる、前部長の親族の土地を全て買収し、 移転保証金まで税金から出している、さらに地域の方達から 「そんなに大きな道路を私達は求めていない、もっと自然を大切にする道路にして欲しい」という声が上がり、 計画を止めて話し合ってほしいという要望書まで出されたことを、私の質問の中で前部長は認めました。
納得がいかない点が多い道路計画でしたので、自由民主党会派の議員さんたちから罵声のごとく野次を浴びながらも 「これはおかしい!」と声を上げましたが、当初「道路計画は続ける」という返答でした。 ですが、最後には「近隣に住む人たちとしっかりと話し合って、計画をしなおしてください」という私の発言に対し、 前部長は「しっかり話し合って、いい道路にしていきたい」と答弁をしました。
あくまでも仕事の立場では、前部長に対してはいろいろと言わせていただきました。 個人としてはとてもいい方だということを知っているだけにつらい立場でしたが、市民の声を届けるのが私の仕事です。 前部長もそれを理解してくださっていたことには感謝をしています。
うれしくてうれしくて、涙がでそうになりました
要望書を出された地域の方から、市が話し合いの場を持ち、道路の計画を変更しているというお話を頂きました。 「ありがとうございました」というお言葉をいただいたときに、当然のことですから、と思っていましたが・・・ 帰りの車ではうれしくて涙が出そうになりました。
道路が出来上がってから「あの道路は私が造った」と議員が言うのは簡単なことです。 ひとたび道路や施設が出来上がると、そこの地域の議員がこぞって「私がやった」というのは、 国政・地方政治を問わず、よく見受けられるものです。
今回、下小山田地域から離れた私のところにこの話がきたということは、行政を敵に回す覚悟を持って、他の議員から 「何がいけないんだ!」と野次られながらも「道路計画を見直せ、地域の声を聞け」と発言することができる議員は、 限られているということではないでしょうか。
私の仕事は、できあがったものを「私がやった」と言って回ることではありません。 その地域に住む皆さんの声をしっかりと行政へと届け、結果を出すことです。 そこでなによりもうれしいのが、高ヶ坂のパークゴルフ計画が白紙撤回になったときもそうですが、 皆さんからいただく「がんばって」や「ありがとう」「応援してるよ」という一言です。 どのようなことでも構いませんので、皆様の反応を新井よしなおにお聞かせいただければ、こんなにうれしいことはありません。 応援・ご意見など、お待ちしております。
※都議会議員選挙期間中はレポートの配布ができないので、5・6月号とさせて頂きました。 ご了承ください。
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